Ghost of Tsushimaをプレイした感想と学び

はじめに (雑談)

11月に入って早速体調を崩す自体に、まあ長距離移動したこともあって疲労がたまっていたのかも。

まだ暖房はつけずに過ごせている、自分は暑さより圧倒的に寒さの方が得意だし、ここからの季節は完全に俺のターン🍁 (適当)

というか、今の賃貸住んで3年くらいになるが毎年暖房のつけはじめの時期に謎に部屋の火災報知器が誤作動して消防のお世話になると言うストレスフル体験してる、、、今年は業者に報知器の場所も変えてもらったし平和に過ごせることを望む。

というわけで今回のコラム、Ghost of Tsushima(ゴーストオブツシマ)をプレイした感想をのんびり書いていきます。

  • ※ ネタバレを割と含むので、未プレイの方はプレイ後にお読みいただくか、ネタバレされても別に問題なければそのままお進みください。

どんなゲームか

Youtubeの公式Trailer:

公式のあらすじ:

文永(十三世紀後半)、コトゥン・ハーン率いるモンゴル帝国(大元)の大軍勢が、日本侵攻の足掛かりとして対馬に上陸した。島を防衛する対馬の武士団は、初めて見る元軍の兵略によって初戦で壊滅したが――、境井 仁(さかい じん)という名の一人の武士が、かろうじて生き延びていた。

仁は、冥府から蘇った者「冥人(くろうど)」として、侍の道に反した戦い方に手を染めることになっても対馬の民を守ろうと決意し、元軍に戦いを挑むのだった。

要するに、小学校の歴史の授業で学んだ蒙古襲来の時代をベースに作った物語。

敵: モンゴル軍 / プレイヤー: 境井 仁

と言う構図、なのでゲームは境井 仁を操作しながら進むことになります。


良かったところ

  • コントローラーのHaptic Feedback (振動とか)が多様で躍動感があった
  • グラフィックが最高
  • ストーリーが重厚、ただ娯楽としてのゲームではなくて学びも得られる
  • 目的地までの経路がミニマップじゃなくて、風向きで知れるという厨二病をくすぐる設定

気になったところ

  • 馬移動の画面揺れ(というかモーション?)が若干気になった。(RDR2をプレイした後だからというのもあるが、、、)
  • チェックポイント、アイテム場所のヒントが変に出ない時もあって、探すのに余計に時間をかけることがあった
  • ヒロイン的存在?がもう少し欲しかった (これは完全に個人の要望)

メインストーリーをクリアして、ゲーム全体の総括: 120点/100点

結論、神ゲー。

今年の夏にRDR2もやってからこのゲームという流れになったこともあって、余計に多くの学びがあった。


このゲームから学べたこと

理想だけに固執する、伝統・文化を守るだけでは現実の課題に向き合えないということ

境井 仁は侍の家系として育って、誉 (Honor)を持った人間であれという教育を受けてきた、それ自体に疑問を持つ事はなかったという幼少期。

そして大人になって、海の向こうからいきなり得体のしれない軍が上陸して、誉もクソもないムーブで対馬を侵略、民は無残に殺され、村は焼かれ、子供たちさえ串刺しにされるという地獄絵図。

仁はその現状を見て、侍道や誉だけで民を救えることはできないと過去の自分と決別してGhost (冥人)になることを決断。

でも志村 (叔父、対馬の侍部隊のリーダー)はその仁の姿を見て危機感を感じる、誉を捨ててただ敵を切り捨てる姿を見て民が恐れてしまうのではないかという感情を持ったという。

そして蒙古との戦いに一区切りがついたあと、最後は自分の手で仁を、、、

という流れ。

自分もストーリーを進めながら、仁を操作しながら感情移入することが非常に多かったです。

個人の憶測にはなりますが、志村が本当に恐れていた事:

Ghostという存在に民が希望を持ってしまうと、侍という存在意義が薄れてしまうのではないか

志村は伝統・文化を守ることに固執して、仁は伝統・文化を磨くことを選んだのではないかとプレイしながら感じていました。

仁は別に誉を捨てたわけではなくて、今の誉だけでは現実の課題 (民の嘆き)に向き合えないことを重く受け止めて誉という概念を未来型にシフトして磨こうとしたのではいう自分なりの理解をしていました。

これは現実の組織にも当てはまることが多いな、、、と思いながらプレイしていた面も。


ゲームから学ぶ、崩壊する組織

  • 「文化や風習を守ること」が第一で、“変える”ことをタブー視する
  • 「みんなやってきた」「今までそうしてきたから」と過去を免罪符に逃げる
  • 組織の在り方に意見をする者を、「規律や秩序を乱す存在」として排除する
  • そして最終的には、自分に耳障りのいいことだけを言う人間を「忠義」「優秀」と誤認する

みんなやってきた = 正しい事、これに何の根拠があるのかといつも思っています。

昔、世界では奴隷貿易を”みんなやってる“という時代がありました、ならそれは正しかったのでしょうか。

その言葉が出てくるとき、大抵はリーダー自身が
責任を取りたくない
めんどくさいから思考を止めたい
そのどちらかに陥っている可能性が高いんじゃないでしょうか。

変化に対して怖がるのは理解できます、人間だから。
でもその恐れを隠すために、異を唱える者を“秩序を乱す者”とレッテルを貼るのはあまりにも無責任ではないかと。

問いを投げかける側にも、確かに言い方や態度の未熟さがある場合もあります。
でも、ほとんどの場合は
本当にチームの現状に危機感を抱いて、勇気を振り絞って声を上げている。
そんな人間を規律・秩序を乱すとレッテル貼りをして、それは”規律があるチーム“なんでしょうか。

カッコつけた言い方をすると、崩壊した沈黙より健全な混沌が真にチームを強くする在り方だと自分は感じています、このゲームで例えると、チームを強くするのは声を上げるGhostではないでしょうか。


まとめ:守るべきは「形式」か、「本質」か。

ゲームを通して、自分は改めて「何を守るべきか」という問いと向き合うことができました。

古い文化や伝統を否定して、
全部ぶっ壊して改革だ!」と叫ぶのは、ただの暴走、そういう声にこそ実は未熟さや浅はかさが見えることもあります。
だから、自分は単純な破壊を肯定するつもりはないです。

しかし今の時代、社会・技術の進化が早すぎて現状維持 = 衰退がより色濃く現れることが多いと感じます。

守る」ことは美徳、でもそれは、「磨く」という視点を持ってこそ意味を持つのではないかというのが今回のコラムでゲームの感想と合わせて伝えたいことでした

ただ頑なに伝統を守り続け、問いを排除し、変化を拒む組織は、
いずれ優秀な人材から見限られ、
気づけば残っているのはYESマンだけ――
そして静かに崩壊していく。

年内にもう一本くらい神ゲーを探しあてたいなぁ、、、

今回は以上です。